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1.1 負けが前提か、勝ちが前提か

まず、「ギャンブルとは何か」から始めましょう。

辞書や法律の世界では、ギャンブルは「偶然に左右される勝負ごとに、お金や価値のあるものを賭けること」と定義されています。賭け金があって、結果は偶然で、当たれば賞金がある。この3つが揃えばギャンブル、というわけです。

間違いではありません。でも、気づいたでしょうか。この定義には、「負ける」という言葉が、どこにも入っていません。やめたいと思っているあなたにとって、本当に大事な線は、そこではないのです。

私が整理するギャンブルとは、先ほどの定義に「参加者が負けるように設計されている」という一行を足したものです。一方で投資とは、「勝ち」が前提にあるもの——お金が増える見込みがあるもの、と捉えています。ギャンブルは、当然のように負けるようにできている。これが、この本の出発点です。

たとえば、自分の人生を賭けて起業するとします。成功する見込みがあるのなら、それは「投資」です。成功する見込みがないのなら、それは「ギャンブル」です。一方、全財産を現金化してルーレットの黒に賭けるのは、ギャンブルです。勝てる見込みが、最初からないからです。

では、見込みはあるけれど身の丈に合わない金額を投じるのはどうでしょうか。それはギャンブルではなく、「危ない投資」です。線は別のところにあります。つまり、投資とギャンブルの境界は、勝てる見込みの有無にあるのです。

1.2 負けを、説明できるか——見込みは正確だったのか

ただし、見込みというのは、長いスパンの話です。増える見込みのある行為でも、短いスパンでは普通に負けます。「勝てる」という見込みには、途中の負けの想定が織り込まれているからです。リスクを見積もり、負ける可能性を勘定に入れたうえでお金を出し、その不運が現実になって、負けた——そう言えるなら、それは見込みどおりの負けです。だから、一度負けたからといって、それがギャンブルだったことにはなりません。

問題は、その見込み自体が、間違っているかもしれないことです。そして、見込みが正しかったのかどうかに気づけるのは、たいてい、負けたときです。

負けたら、一度自分に問いかけてみてください。私はこの負けを、説明できるか、と。織り込み済みの要因で負けたのなら、見込みは正しかった。納得して、次に進めばいい。想定外の要因で負けたのなら、それを見込みに織り込み直して、それでもまだ勝てる見込みが残るのかを、計算し直す。この更新を繰り返すうちに、自分がやっているのが本当に投資なのか、実はギャンブルだったのかが、だんだん見えてきます。

説明できない負けは、危険信号です。「ツイてなかった」「あの台が悪かった」——ギャンブルの負けに、説明はつきません。負けがいつも想定外だから、取り返しに行くことになるのです。

「熱くなって、冷静さを失っていたから負けた」——負けの説明として、よく聞く言葉です。でも、これは負けた理由になっていません。この言葉が指しているのは、たいてい、こういう流れです。まず負けて、熱くなり、一発逆転を狙って大きな勝負に出て、また負けた。説明しなければならないのは、最初の負け——あなたを熱くさせた、その負け——の方です。熱くなったということは、その負けが、想定外だったということなのですから。

説明できない負けを重ねる行為を、投資と呼び続けることはできないのです。

1.3 金額の大小は、関係ない

次に、金額の話です。1円パチンコや、1レース100円だけの馬券など、完全にお小遣いの範囲でやっている場合はどうでしょう。「これはギャンブルではなく遊びだ」と整理している人がいるかもしれません。

違います。1円パチンコでも4円パチンコでも、「負ける」ことを想定してやっているのですから、紛れもないギャンブルです。金額の大小は、線になりません。言うなれば、ギャンブルで遊んでいるだけです。もしくは、遊ばれているだけかもしれません。

1.4 一回ではなく、トータルの話

「負けが前提と言うけれど、勝負はやってみなければ分からないだろう」——そんな声が聞こえてきそうです。

そのとおりです。ギャンブルですから、負けることもあれば、勝つこともあります。私が言っているのは、一回一回の話ではありません。トータルの話であり、言い換えれば、一回あたりの期待値の話です。

具体的に説明します。スロットには設定があり、設定ごとに機械割——投じたお金がどれだけ戻るかの割合——が決まっていて、低設定は負けるようにできています。競馬は、払戻率があらかじめ決まっています。競輪もボートも、同じ構造です。つまり、続ければ続けるほど、決められた取り分のぶんだけ、確実に減っていきます。トータルでお金を失うと見込まれるもの——それを総称して、私はギャンブルと整理しています。

1.5 あなたは、誰と勝負しているのか

パチンコを打つ人の大半は、店と勝ち負けのやり取りをしていると思っています。競馬なら、JRAと勝った負けたの勝負をしていると思っています。実はそれ、正しい認識ではないのです。

お金の流れで考えてみれば、分かりやすいです。あなたがパチンコで手にしたお金は、お店から支払われますが、そのお金は、どこからくるのか。それは、他の台で打っていた誰かの負けたお金から出ています。そして客の負けたお金の多くは店の取り分になり、その残りを、客同士で取り合う構図なのです。競馬は、この構造がもっとはっきりしています。馬券の売上をひとつのプールに集め、そこから当たった人に分配する仕組みなので、あなたがたまたま当てた万馬券は、他の誰かのハズレ馬券から出ています。

では、店やJRAは何をしているのでしょうか。パチンコ店は、釘の調整と設定の配置で、その日の自分の利益をあらかじめ見込んでいます。競馬は、オッズの仕組みそのものに、運営の取り分が最初から組み込まれています。つまり運営は、客同士がお金を回し合う場から、先に自分の取り分だけを確実に抜いているのです。あなたが勝とうが負けようが、運営はどちらでもいいのです。

あなたは、店と勝負しているのではありません。つまりは、友人と並んでパチンコを打っているのなら、その友人と、お金を取り合っているのです。この構造を知ってもなお、それを「勝負」と呼べるでしょうか。

1.6 「ギャンブル」という言葉は、伸び縮みする

こうして考えていくと、気づくことがあります。「ギャンブルとは何か」の答えは、人によってそれぞれ違う、ということです。

パチンコは、誰がどう見てもギャンブルでしょう。でも法律の上では賭博ではなく、「遊技」という建前が存在しています。競馬は、馬券を買えば当然ギャンブルです。でも「好きな馬を応援しているんだ」という意味合いを持たせることもできます。実際、そう自分に説明しながら馬券を買っている人は大勢います。もっと大きな話では、「人生はギャンブルだ」というフレーズもよく聞きます。

つまり「ギャンブル」という言葉は、都合に合わせて伸びたり縮んだりするのです。建前は、「これはギャンブルではない」と言葉を縮めます。応援という意味づけは、賭けごとの顔を隠します。「人生はギャンブル」という言い回しは、逆に、何もかもをギャンブルにしてしまいます。

そして、この伸び縮みこそが、依存の側にとって最高の隠れ家になります。「これは遊びだから」「応援だから」「人生自体が賭けなんだから」。言葉が曖昧なところに、病気は住み着くのです。

だからこの本では、言葉やイメージではなく、構造で判定します。お金を出して、トータルで負けると見込まれるか。それだけです。応援したいだけなら、賭けなくても応援はできます。賭けた瞬間に、構造はギャンブルになります。そして人生は——勝てる見込みを自分で作れるという一点で、ギャンブルにしなくて済みます。挑戦を投資にできるかどうかは、偶然ではなく、あなたの準備が決めるのです。

1.7 法律の線と、負けの線は、別の場所にある

建前の中身を、少しだけ覗いておきましょう。

賭博は、法律(刑法)で禁じられています。その定義は100年前の判例から変わらず、「偶然の勝敗に関して、財物の得喪を争うこと」。お金を出し、結果は偶然で、勝てば得て、負ければ失う——ここまで見てきた構造そのものです。

では、なぜ競馬は捕まらないのでしょうか。競馬は、この定義にど真ん中で当たります。ただ、競馬法という特別な法律が「これはやってよい」と定めているから、罰されないだけです。競輪も同じです。宝くじは正確には、刑法が別に禁じる「富くじ」に当たりますが、これも専用の法律で許されています。つまり公営ギャンブルとは、国が許可した賭博です。

パチンコは、別の抜け方をしています。賭博の三要素(賭け金・偶然・賞金)のうち、「賞金」の一点だけを制度で切り離すのです。店が出すのは現金ではなく「特殊景品」。それを店の外の交換所が現金で買い取り、景品は問屋を通ってまた店に戻る——世に言う三店方式です。店は「景品を渡しただけ」。交換所は「中古品を買い取っただけ」。誰もが換金できると知っているのに、制度の整理の上では、誰も賭博をしていない——ということになっています。これが「遊技」という建前の、中身です。

FXや先物はどうでしょうか。差額をやり取りするという形は賭博にかなり近いのですが、金融商品取引法などの法律が「経済取引」として認めています。保険は、偶然でお金が動く形は似ていても、向きが逆です。賭博が「なくてもいい損の可能性を、自分から買いに行く」のに対して、保険は「すでにある損に、みんなで備える」。だから罰されません。

ここまでを並べると、大事なことが見えてきます。合法か違法かの線は、国の都合で引かれた線だということです。賭博でも特別法があれば合法になり、賞金を景品に替えれば遊技と呼ばれ、経済の役に立てば取引と呼ばれる。その線は、あなたの財布とあなたの人生を守るためには、引かれていません。やめたいあなたが頼るべき線は、一つだけです。負けが前提かどうか、です。

1.8 なぜ線引きが必要か——新しいギャンブルは生まれ続ける

なぜ、ここまで判断基準にこだわるのか。

「パチンコと競馬はギャンブル、NISAは投資」というように、カテゴリの暗記で判断していると、新しいものが現れたときに迷うからです。

近年の「オリパ」のように、新しいギャンブルは次々と生まれてきます。カテゴリで覚えていた人は、それがやっていいものか、やらないほうがいいものか、判断に迷います。いえ、もっと悪いことに、迷うことすらできないかもしれません。ギャンブルだと認識できなければ、いつの間にかどっぷりハマって、抜け出せなくなってしまうのです。

だから、最初から自分の中に明確な判断基準を持っておく必要があります。勝てる見込みがあるか、ないか。カテゴリではなく、構造で判定するのです。

1.9 「お金を出して、偶然が絡む」行為を、すべて分類する

ここで一度、視野を思い切り広げます。パチンコや競馬に限らず、世の中の「お金を出して、偶然が絡む」行為を、すべて洗い出して、一つの表に分類してみます。分類の対象になるのは、次の三つの条件を満たす行為です。

1 お金を出す(賭ける・買う・払い込む)
2 戻りを期待している。出したお金が、お金・景品・値上がりの形で
戻ってくることをあてにしている(使って終わりの買い物は、入りません)
3 戻りの有無や大きさが、偶然に——一部でも——左右される

この三つに当てはまったものは、戻り方で三つの型に分かれます。

A型: 賭けたお金そのものが増減する
A1 公営競技 — 競馬、競輪、競艇、オートレース
A2 くじ — 宝くじ(ロト・スクラッチ含む)、スポーツくじ(toto)
A3 遊技 — パチンコ・パチスロ(景品経由)
A4 カードくじ — オリパ(換金メイン)
A5 違法なもの — オンラインカジノ、海外スポーツベッティング、賭け麻雀などの賭博
A6 金融型 — FX、先物、株の信用取引、暗号資産のレバレッジ取引、バイナリーオプション

B型: 買ったものの価値が、後から増減する
B1 株
B2 金(ゴールド)
B3 不動産
B4 暗号資産
B5 トレカ

C型: 払った対価で「何が手に入るか」「手に入るかどうか」が偶然
C1 スマホゲームの課金ガチャ
C2 オリパ(カード目当て)
C3 トレカのパック開封
C4 クレーンゲーム

考えられるものは、あらかたこの表に収まっているはずです。では、この分類から何が分かるのか、順に見ていきます。

まず、ギャンブル依存として特に問題になっているものは、A型に集中しています。外来やコミュニティで名前が挙がるのも、パチンコ、競馬、オンラインカジノ、FX——ほとんどがA型です。お金そのものが増減するという形が、ギャンブルと最も強く結びついていることが分かります。

次に、B型。ここは比較的、問題になりにくい型です。「保有する」という行為は結果が出るまでが長く、賭けては結果、賭けては結果、という反復が起きにくい。依存への移行が、構造的に起こりにくいのです。株の配当や不動産の家賃のように、持っている間の「実り」がつくものが多いのも、B型が「増える見込み」——投資の側に寄っている証拠です。ただし、B型が牙をむくときがあります。A型に移動したときです。これは、すぐ後で説明します。

最後に、C型。ここは、見た目より問題の多い型です。課金ガチャは金額が高額になりやすく、たびたび社会問題になりますし、クレーンゲームに苦しむ人も、コミュニティに実際に相談者として現れます。一回が数百円と小さく、日常の風景に溶けているぶん、気づいたときには深くなっている——それがC型の注意点です。

面白いのは、同じ品物が、使い方で型を移動することです。金(ゴールド)の現物は、値段が下がっても金のまま手元に残り、売る日を自分で選べる——負けが確定する日のない「守る資産」です。でも同じ金でも、先物に手を出せば「期日に上がっているか、下がっているか」の賭けになり、勝ち負けの反対側には必ず相手がいます。あなたの利益は、誰かの損失。保有が、A型の賭けに変わるのです。株も同じです。積立で長く持てば投資、信用取引で日々売り買いすれば、A型に落ちます。

そして、トレカは全部の型を渡り歩きます。遊ぶために買えば、ただの消費。値上がり目当てに未開封で積めば、B型。パックを剥いて当たりを狙えば、C型。出た当たりカードを買い取りに出して現金に換えるなら——実質は、A型です。パチンコが「景品経由」でA型に入っているのと、同じ理屈です。オリパをA型とC型の両方に載せたのも、これが理由です。品物の名前では、判定できません。 お金の流れと目的だけが、型を決めます。

1.10 「射幸行為」——お金を出して偶然が絡む行為の、本当の名前

お金を出して、偶然が絡む行為には、実は昔からの名前があります。射幸行為(しゃこうこうい)です。

「射幸性」という言葉は、耳にしたことがあると思います。でも「射幸行為」となると、聞き慣れないのではないでしょうか。先に言っておくと、これは私が勝手に作った言葉ではありません。国が定めた法律の中にも、しっかりと出てくる言葉です。

平成三十年法律第七十四号・ギャンブル等依存症対策基本法。その第二条にこうあります。「この法律において『ギャンブル等依存症』とは、ギャンブル等(法律の定めるところにより行われる公営競技、ぱちんこ屋に係る遊技その他の射幸行為をいう(略))にのめり込むことにより日常生活又は社会生活に支障が生じている状態をいう」。

注目してほしいのは、公営競技もパチンコも、区別なく「射幸行為」の例として挙げられている、ということです。つまり国は、「ギャンブルかどうか」という枠にとらわれていません。お金を出して偶然が絡む行為——射幸行為——にのめり込めば、日常生活に支障が生じ、ギャンブル依存症になる。条文の上で、そうはっきり結びつけているのです。パチンコも、その他の射幸行為も、あなたの生活に支障を生じさせるものとして、国から同じ棚に並べられているのです。

では、「射幸」とは何でしょうか。「幸(まぐれ当たりの幸運)を射止めようとすること」。働きや対価によってではなく、偶然によって利益を手に入れようとする行為を指す言葉で、辞書にも法律の世界にも、昔からあります。

こう書くと、「私は偶然になんて期待していない。長年の経験とロジックがあって馬券を買っているんだ。まぐれではない」という声が聞こえてきそうです。でも、残念ながら、それでも射幸なのです。どれだけ予想を磨いても、レースの結果そのものは、あなたの支配の外にあります。偶然が一部でも結果を左右するなら、それは射幸行為です。

だから、この本でもこの言葉を使います。競馬もパチンコもオリパもクレーンゲームも、法律上の呼び名はバラバラですが、すべて射幸行為の仲間です。

そしてこの射幸行為は、私たちの生活を破綻させ、人生そのものを壊す可能性があります。しかも、その負の連鎖はあなた一人で止まりません。あなたの大切な人に波及し、最終的には、あなたの子どもにまで及ぶことさえあるのです。

新しい何かに出会って、名前や見た目に惑わされそうになったら、「これは射幸行為か?」と、一度考えてみてください。賭博かどうかは国が決めますが、それは、私たちには関係のない線引きでした。本当に重要なのは、射幸行為かどうか。それを判定するのは、国ではなく、あなた自身なのです。

1.11 「射幸性」——偶然の幸運で儲けたい心を煽る力の強さ

射幸行為のイメージがついたところで、次は「射幸性」という言葉にも触れておきます。射幸性とは、何なのか。辞書には、「努力によらず、偶然によって利益などを得られる要素。またはその度合い」とあります。そして、偶然によって利益を得られる仕組みは、「偶然の幸運で儲けたい」という心——射幸心——を煽ります。この本で注目したいのは、この煽る力の強さです。

これだけ聞くと、「まあ、なんとなく分かる」という感じだと思います。実際、「最近のパチンコは射幸性が高い」と言えば、イメージはバッチリですよね。つまり、最近の台は、スピードも速いし、出るときはめちゃめちゃ出る。そして私たちは、そういう台は、その反面、吸い込みも激しいことを知っています。出るときは出るが、出ないときは、とことん出ない——要するに、荒い。この「ハイリスク・ハイリターン」の荒さを指して、普段「射幸性が高い」とか「ギャンブル性が高い」と言っているわけです。ただし、この本で扱う射幸性は、それだけではありません。では、煽る力の全体は、何で決まるのか。掘り下げてみます。

射幸心そのものは、誰にでもある心理です。宝くじ売り場や福袋の行列を見て、少し気になる——その気持ち自体は、病気ではありません。問題は、この気持ちを強烈に煽るように設計された仕組みがあることです。この煽る力を、この本では四つの要素で整理します。どれも「あるか・ないか」ではなく、強さに度合いがあります。

1 偶然性 — 結果が、腕前ではなく運でどれだけ決まるか
2 倍率 — 掛け金が、どれだけの大金に化け得るか
3 スピード — 結果が、どれだけ早く出るか
4 反復 — どれだけすぐに、もう一回できるか

たとえば偶然性なら、麻雀やポーカーは腕前も絡むぶん度合いは中くらい、宝くじは全てが運なので最大——という具合に、行為ごとに度合いが違います。

そして、先に一つだけ予告しておきます。私たちが警戒してきた「荒さ」は、実は、危険の正体ではありません。四つの要素のうち本当に怖いのがどれなのかは、これから確かめていきます。

1.12 パチンコと競馬、どちらが煽るか

日本の二大ギャンブル、パチンコと競馬を、この4つの要素に当てはめて、射幸性の高さを比較してみることにします。

まず、偶然性について。

偶然性とは、結果が腕前ではなく運でどれだけ決まるか、でした。

パチンコにも、一応、腕前と呼べるものはあります。止め打ちのような効率的な打ち方や、釘を見て、より回る台に座るなどの、期待値を上げる技術です。しかし、勝ち負けの大部分は、パチンコ玉が入賞し、デジタルが回って当たるか外れるか——という抽選で決まります。腕前があるとしても、運が大部分を占める。それがパチンコです。

それに対して競馬は、自分で当たりを予想して賭けられます。馬のやる気を見極める目があれば、勝てる馬に投票できますし、長年溜め込んだデータがあれば、オッズの歪みを見つけて、予想面で人より優位に立てる可能性もあります。

一度座ってしまえば、あとは打ち出すことしかできないパチンコに比べて、競馬には、自分の予想が収支に反映される余地があります。偶然性で言えば、パチンコの方が高いと言えるでしょう。

次に、倍率。

倍率とは、掛け金がどれだけの大金に化け得るか、でした。これは圧倒的に競馬が高いと言えます。競馬では、100円の馬券が数万円、数十万円になることが珍しくありません。3連単のような当てにくい券種ほど配当は跳ね上がり、5つのレースの1着を全部当てるWIN5に至っては、100円が億を超えた例まであります。一方パチンコは、どれだけ神がかった一日でも、手にできるのは——私の体感の目安ですが——せいぜい数十万円。1,000円が億に化ける道は、構造上、存在しません。

次に、スピード。

スピードは、「1回の抽選」を単位にして見ます。パチンコで言えば、それは1回のリーチです。玉が入るとデジタルが回り、当たったり外れたりする。つまり、玉が入るごとに抽選をしているのです。競馬はどうでしょうか。競馬の抽選の単位は、1レースです。競馬が1日に最大でも数十レースなのに対して、パチンコは何千回。スピードで言えば、パチンコの圧勝です。

最後に、反復。

反復とは、次の抽選をどれだけ容易に行えるか、ということです。パチンコは、開店中はほぼ無限に反復できます。保留という仕組みまであるので、次の抽選の予約すら入っています。競馬は、レースで一区切りなので、次のレースを待つしかありません。やろうと思ってもすぐにはできない。日曜の最終レースを外せば、中央競馬なら翌週まで待つことになります(いまはスマホが平日の地方競馬にもつないでしまいますが、それでもパチンコの無限連続には遠く及びません)。反復も、パチンコです。

判定が出そろいました。

1 偶然性 — パチンコの方が高い(腕前があっても、大部分は運)
2 倍率 — 競馬の方が高い
3 スピード — パチンコの方が速い
4 反復 — パチンコの方が容易

結果は、倍率は競馬、残りの三つはパチンコとなりました。

ただ、実際のところは、どうなのでしょうか。たとえば競馬は、賭け金に上限がなく、いくらでも張れてしまいます。そこに高い倍率を掛け合わせれば——「ギャンブル性」という考えでは、それだけで、パチンコより射幸性が高いような気さえしてきます。

1.13 数字で確かめる——依存する人は、どこから生まれているか

その感覚が正しいのかどうか。実際の統計とお金の規模で、確かめてみましょう。

パチンコで遊ぶ人と、競馬で遊ぶ人は、実はいま、ほとんど同じ数です。少し意外かもしれませんが、2023年の調査では、パチンコの参加人口が約660万人。対して中央競馬は約750万人。スマホで馬券が買えるようになった競馬は若い世代を取り込んでいて、「遊ぶ人の数」だけなら、むしろ競馬の方が多いくらいなのです。

ところが、依存の調査を見ると、景色が一変します。国の調査では、ギャンブル依存が疑われる人は全国に約70万人いるとされます。その人たちに「一番お金を使ったギャンブルは何ですか」と聞くと、約8割が「パチンコ・パチスロ」と答えます。「競馬」と答える人は、1割ほどしかいません。

ここで、さっきの数字を思い出してください。遊んでいる人の数は、ほぼ同じでした。もし両者の「依存させる力」が同じなら、依存する人も、半々に分かれるはずです。しかし実際は、半々どころか、「パチンコ」と答える人が「競馬」の8倍にのぼるのです。

使われるお金の規模も違います。1年間に賭けられる総額は、競馬が中央と地方を合わせて約4.4兆円なのに対して、パチンコは約15.7兆円。一人あたりに直すと、パチンコ客が年およそ238万円、競馬客が年およそ59万円——パチンコ客は競馬客の約4.1倍のお金を使っている計算になります。

なぜ、これほどの差がつくのか。

思い出してください。「ギャンブル性が高い」という日常の言葉は、荒さ——一撃の大きさ、つまり倍率——を指していました。そして倍率は、唯一、競馬が勝っていた要素です。賭け金に上限がなく、一撃の夢も大きい。危険に見えたのは、競馬の方でした。それなのに、依存する人は、パチンコ側からばかり生まれている。私たちが警戒してきた「荒さ」は、危険の正体ではなかったのです。

では、正体は何なのか。

1.14 私たちをギャンブルに依存させる本当の要因

私は、先ほどの4要素を「依存させる力」という面で見た場合、次の順番があると整理しています。

反復 > スピード > 偶然性 = 倍率

反復を先頭に置くのは、負けた直後に「次の一回」が存在することが、深追いの物理的な前提だからです。どれだけ結果が速く出ても、次の一回がなければ、深追いは始まりようがありません。逆に、結果が遅くても、次の一回さえあれば、人は夜通しでも追いかけられます。反復が前提で、スピードはその増幅器——だから、この順番となります。

そして、この上位2つが主役だという見方は、私の思いつきではありません。ギャンブル研究の世界にも、依存を決めるのはゲームの種類ではなく、結果が出るまでの「速さ」と、賭けられる「頻度」だ——とする報告があります。

依存の正体は、誰も警戒していないスピードと反復。速くて、無限に繰り返せる場所で、人は掴まります。そして、その繰り返しの中で依存が強まっていく——この悪循環こそが、依存症を重症化させる正体だと、私は思っています。

この考えに基づけば、反復とスピードを押さえているパチンコは、競馬よりも射幸性が高いと説明できますし、数字で見た「依存へのなりやすさ」とも整合します。

1.15 FX、オリパ、オンラインカジノの射幸性

では、他の射幸行為はどうでしょうか。たとえば、私が肌感覚で特に危険だと考えている、FX、オリパ、オンラインカジノで考えてみます。

まず、スピード。オリパとオンラインカジノは、パチンコと同等か、それ以上です。オンラインカジノのスロットは1スピン数秒で、自動で回し続ける機能まであります。FXは、注文から決済までがひとつの区切りなので、スピードはそこまで高くありません。

次に、反復。これは、三つともパチンコより高い水準だと整理できます。パチンコの反復には、実は上限があります。閉店時間と、店までの移動です。オンラインカジノとオリパには、それがありません。休みなく、24時間プレイできます。FXも、土日こそ休みですが、平日は24時間、いつでも張り直せます。

つまりFX、オリパ、オンラインカジノは、パチンコと同じか、それ以上の射幸性を秘めているという見方ができます。パチンコをやめて、「これならマシだろう」と別の射幸行為に移っても、ギャンブルをやめたことにはなりません。台を替えただけ——いや、閉店のない台に、替えただけかもしれないのです。

断っておきますが、この章の比較は、「競馬よりパチンコの方が危険」と言いたいわけではありません。競馬にも依存症で苦しむ人がいて、競馬も依存すれば生活が破綻します。そもそもこの比較は、どちらが上かを決めるためのものではなく、射幸行為の危険を知り、あなたの人生からギャンブルを除外するために、やっています。

1.16 宝くじは、どうか

もう一つ、確かめておきたいものがあります。宝くじです。

「宝くじはギャンブルですか?」——コミュニティで、この問いを何度も見てきました。競馬とパチンコを必死でやめようとしている人でも、宝くじは別枠という人がいます。その人たちが一様に口にするのが、「夢を買う」というフレーズです。

基準に当てはめてみましょう。宝くじに、増える見込みはあるでしょうか。もちろんありません。当せん金に回せるのは売上の5割まで——と、法律で上限が決められています。実際に買った人へ戻っているのは、半分に満たない4割台です。割の悪さで言えば、宝くじはギャンブルの中でも極めつけで、「愚者の税金」と呼ばれることさえあります。

当せんの確率も、調べてみれば、夢という言葉で片付けられるようなものではありません。想像を絶する低さです。負けが前提のものは、すべてギャンブル。宝くじも、例外ではありません。

ちなみに、宝くじは倍率と偶然性が最大級なのに、「宝くじがやめられない」という相談は、コミュニティでほとんど見ません。反復とスピードが低い——依存の主役2つを欠いているからです。ただし逆に言えば、反復が上がった瞬間、宝くじも危険なものに変わります。スクラッチのように、その場で結果が出てすぐ次を買えるものには注意してください。「もう一回」までの距離が短いぶん、依存につながる可能性が高くなるのです。

1.17 その賭けは、本物か——詐欺という第三の箱

ここまで「投資かギャンブルか」を判定してきましたが、実はその手前に、先に確かめるべき問いが一つあります。

そのゲームは、本物か? です。

負けが前提かどうかを判定できるのは、表示どおりの確率が実在して、勝ったら本当に払い戻される場合だけです。その前提が崩れているなら、それは賭けですらありません。あなたは「負けた」のではなく、盗まれたのです。その名前は、ギャンブルではなく、詐欺といいます。

つまり判定は、本当は三段階です。

一、そのゲームは本物か。——本物でなければ、詐欺。二、本物なら、負けが前提か。——負けが前提なら、ギャンブル。三、勝てる見込みを作れるか。——作れるなら、投資。

この「詐欺の箱」のすぐ隣に立っているのが、オンラインカジノです。

まず、はっきり書いておきます。オンラインカジノは、遊ぶこと自体が犯罪です。サイトが海外にあっても、日本から賭けた時点で賭博罪が成立する——これが警察の公式見解で、実際に利用者が検挙されています。2025年には法律も改正され、サイトへ誘導する広告や情報発信まで、違法だとはっきり宣言されました。「海外で合法のライセンスがあるから大丈夫」という宣伝文句は、あなたを犯罪者にするための誘い文句です。

その上で、詐欺の箱の話です。オンラインカジノの抽選が表示どおりの確率で回っているか、あなたに確かめる手段はありません。勝っても出金を拒否される事例が、いくらでもあります。そして——ここが決定的ですが——騙されても、あなたは警察に相談できません。あなた自身が、賭博罪を犯しているからです。「絶対に通報できない被害者」。詐欺師にとって、これほど理想的な客はいません。

最後に、これだけは覚えておいてください。やめようとしているあなたは、詐欺の一級のターゲットです。負けを取り返したい心理。「絶対勝てる」への渇き。そして、家族に秘密があるから、騙されても相談できないこと。SNSで近づいてくる「投資の先生」も、オンカジの「必勝法」も、この三つの心理を狩りに来ています。うますぎる説明は、説明ではなく、餌です。本物の投資は、負ける可能性のほうから、先に説明します。

1.18 判定表——ここまでの総まとめ

この章の道具を全部使って、主なものを一気に判定しておきます。左が法律上の扱い、右が構造の判定です。

1 競馬・競輪・宝くじ — 法律: 国が許可した賭博/構造: 負けが前提。ギャンブル
2 パチンコ・パチスロ — 法律: 「遊技」(三店方式)/構造: 負けが前提。ギャンブル
3 オンラインカジノ — 法律: 違法(遊ぶだけで賭博罪)/構造: 本物の保証がない。詐欺の箱の隣
4 FX・先物・株の信用取引 — 法律: 合法の経済取引/構造: ゼロサムの賭け。ギャンブル側
5 ソシャゲの課金ガチャ・オリパ — 法律: 規制の隙間/構造: 負けが前提。ギャンブル
6 トレカのパック開封 — 法律: ただの買い物/構造: 実質のハズレあり。ギャンブル側
7 クレーンゲーム — 法律: 少額(おおむね1,000円以下)の景品に限り容認/構造: 負けあり。小さなギャンブル
8 ガチャガチャ(カプセルトイ) — 法律: ただの買い物/構造: 負けがなく、圏外
9 金(ゴールド)の現物 — 法律: ただの購入/構造: 守る資産(先物に手を出せば賭け)
10 保険 — 法律: 保険法の契約/構造: 賭博の逆回転(すでにある損に備える)
11 株・投信の長期積立 — 法律: 国が推奨(NISA)/構造: 増える見込み。投資

見てのとおり、法律の列はバラバラです。違法もあれば、国の推奨まであります。でも構造の列は、上から下へ「負けが前提 → 守る → 増える」と、一本の物差しの上にきれいに並びます。これが、この章で一番伝えたかったことです。あなたを守るのは、法律の列ではなく、構造の列です。

1.19 投資まで規制してはならない

最後に、大事なことを言っておきます。

ギャンブルはしないほうがいい。でも、投資はした方がいい。人生を不自由なく生きるためには、投資は必要なものです。

ギャンブルをやめること自体は、目標ではありません。目標はあくまで、ギャンブルの呪いから、自分の人生を取り戻すことです。だから、ギャンブルをやめるために過剰に投資まで規制して、生きづらい人生を送ることはありません。

難しい投資の勉強が要るという話ではないのです。目の前のものが投資なのかギャンブルなのか、その判断がつけばいいだけの話です。投資と表裏一体であるギャンブルとの明確な判断基準を持つことが、あなた自身を守ってくれます。

1.20 簡単な見分け方

一つ、簡単な見分け方があります。

「勝つ・負ける」で語られるものは、ギャンブル。「増える・減る」で語られるものは、投資。

この言葉づかいを分けているのは、戦う相手がいるかどうかです。

「勝つ・負ける」で語られる行為には、相手がいます。相手がいるということは、片方が勝てば、片方が負けるということです。勝つ側に回るロジックがなければ、あなたは負ける側に回ります。しかも実際には、胴元が先に取り分を抜き、残りをプレイヤー同士で取り合います。全体のお金は必ず目減りしていき、プレイヤーの両方が負けることさえ起きる——マイナスサムのゲームです。

一方、「増える・減る」で語られる射幸行為には、対戦相手がいません。モノの価値そのものの増減を見込む行為なので、プレイヤー全体でやり取りされるお金の総額が増えていき、全員が勝つこともあり得る——プラスサムのゲームです。

言葉の使われ方に、この構造がそのまま表れているのです。

これで、敵の姿は見えました。次の章では、その敵を、なぜ私たちはやめられないのか——病気の話をします。

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