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2.1 ギャンブル依存とは
ギャンブル依存とは、何でしょうか。
ギャンブル依存症は、世界的に医学的な疾患として認められています。WHOの国際疾病分類(ICD-11)にも、「ギャンブル障害」として載っています。イングランドでは、ギャンブル障害が自死に至る判断に影響したとして、検視官が死亡の経緯の一部に正式に記録した事例まであります。日本にも、「ギャンブル等依存症対策基本法」があります。この法律では、ギャンブル等依存症を「ギャンブル等にのめり込むことにより日常生活又は社会生活に支障が生じている状態」と定義しています。この定義を読んだとき、当時の私は、まさに自分が当てはまっていると気づきました。ギャンブルによって、生活に支障が生じている——そのものだったからです。
ただ、この定義には、気になる点があります。基準が本人の内側ではなく、あくまで「状態」——日常生活に支障が出ているかどうか——に置かれていることです。本人がやめたいのか、やめたくないのかは、問われていません。病気というなら、本来は、本人の心や体に起きていることが基準になるはずです。ところがこの定義は、本人の内側には触れず、外側の状況で病気を判断しています。それでは、いまギャンブルに苦しんでいる人の全員は、救えません。焦点を当てるべきは、本人の症状です。
だからこの本では、別の線を引きます。私は、「やめたいと思っているのに、ギャンブルをやめられない」状態を、ギャンブル依存と捉えています。この本に出てくる「ギャンブル依存」は、すべてこの意味です。生活が壊れる前でも、やめたいのにやめられないなら、もう始まっている——そう考えます。
2.2 意思に反して、やってしまう
やめたいと思っている。やめなければいけないことも分かっている。家族の顔も、口座の残高も、頭のどこかにある。それでも、足がパチンコ店に向かう。指がアプリを開く。この「意思に反して」という部分が、この病気の核心です。
決して大袈裟ではなく、体が自分の制御下にないと思えるときがあります。仕事の帰り、今日はパチンコに寄らない——そう考えていたのに、パチンコ屋の目の前を、通り過ぎることができない。それこそ、勝手にハンドルを切ってしまうのです。
その様子は、まさに呪いのように見えます。本人が望んでいないことを、本人の体がやってしまうのですから。
2.3 嘘も、症状である
この病気には、もう一つ代表的な症状があります。ギャンブルをするために、嘘をつくということです。
お金を借りるための嘘。今日は残業で帰れないという嘘。私たちは、ギャンブルをするために、散々嘘をついてきました。これらは、正真正銘の嘘です。
私も、そうでした。「今日も遅くなる」——パチンコをするための嘘でした。結婚後、パチンコで生活が回らなくなり、助けてもらうために借金を打ち明けました。このあたりは、私だけの話ではないはずです。同じ悩みを持つ人には、痛いほど分かる話だと思います。
一つだけ言えるのは——嘘をつかなければよかったと、後々必ず後悔するということ。嘘をつかざるを得ない状態だった、ということです。
そのとき私は家族に、当然、ギャンブルはやめると約束しました。この約束は、嘘ではないのです。本心で、やめると決意しているのです。しかし、一度依存症になってしまえば、意志で克服することは難しい病気です。私もこのときは、結局ギャンブルをやめられませんでした。ギャンブルをやめるという本心を、結果として、嘘にしてしまったのです。
2.4 病気だと認めたときから、回復が始まる
ギャンブル依存は、病気です。
ギャンブルをやめられないのは、意志の強さの問題ではなく、そういう病気だからです。だからこそ、各国の医療機関が治療の対象としています。つまり、回復は、自分がそういう病気なのだと自覚するところから始まるのです。
この本では、脳の報酬系がどうという話を書くつもりはありません。必要なのは「では、どうすればいいのか」だからです。
押さえておきたい事実は、一つだけ。ギャンブル依存は、意志ではやめられない。それはつまり、病気である。そして、自分がまさにそれなのだと、自覚すること。自覚することで、病気への向き合い方が変わり、自分が取れる行動が変わるのです。
2.5 ギャンブル依存は治るのか
ギャンブル依存症は治るのか——心配の声を、よく聞きます。「ギャンブル依存症は治らない病気だ」と言われることがありますが、私はそうは思いません。正しく向き合えば、治る病気だと考えています。
正確に言えば——「治った」と診断してくれる医者が、いないだけです。仮に、10年ギャンブルから離れていれば、事実、もう治っているのかもしれません。でも、本当に治っているかは、誰にも分からないのです。
それに、正直に言ってしまえば——治らなかったら、困るのです。一度きりの人生を、お金に苦しみながら生きるのは、辛すぎるからです。少し乱暴な考え方ですが、病気と前向きに向き合うためには、いい考え方だと思っています。
もちろん、逆の考え方もあります。「治る」と考えると、油断してしまう。だから「治らない病気」と考えて、自分の中に警戒心を持たせておく。これも、非常に理にかなった考え方だと思います。
つまり、治るか治らないかは、実は重要な線引きではないのです。大事なのは、ギャンブル依存と向き合ううえで、自分にとってどちらの考え方が力になるか——それを選ぶことです。
2.6 本人ですら、誤解している
自分の意に反して、ギャンブルをしてしまう。世間はこれを、「意志が弱いだけ」と言います。問題は、この誤った認識が、社会にまだ広く残っているということです。
そして、さらに厄介なことがあります。当の本人ですら、そう思っている場合があるのです。
あなたも思っていないでしょうか。「自分がギャンブルとうまく付き合えなかっただけだ」「今度こそ意志を強く持てば大丈夫だ」と。
その考えがあるから、誰にも相談できません。いえ、正確に言えば、自分の力でやめられると思っているから、相談しないのです。そして相談しないまま、衝動に負け、負けを繰り返し、借金が増え、取り返そうとしてまた借金を重ねる。負のループが進行して、気づいたときには生活が破綻しているのです。
2.7 「自己責任」で一番得をするのは、誰か
「自分の意志が弱いだけ」——つまり、自分自身がギャンブルにハマったのは「自己責任」だと考えている人がいます。もちろん、ハマった原因のすべてを、自分以外のせいにすることはできません。原因の中には、これまで自分がギャンブルとどう関わってきたか——やめることと、どう向き合ってきたか——という、自分側の部分も含まれているからです。
逆に、全部を自分のせいだと考えるのも、ギャンブル依存の本質を見誤っていると言わざるを得ません。
先に言っておくと、自己責任として自分を律し、やめようとする姿勢そのものは、素晴らしいと思います。何もかもを他人や国のせいにしている人より、はるかにギャンブルをやめられる側にいると思います。しかし、「ハマったのは自己責任」という考えには、見落とされがちな危険があるのです。
それは——その考えで一番得をするのは、パチンコ屋だということです。
仮に、ギャンブルに苦しむ人の全員が、自己責任論者だったとします。全員が自分の責任にしているので、パチンコ屋への批判は、一つも生まれません。
しかし、事実として、パチンコ台は面白いと感じるように作られています。つまり、結果としてハマるように作られている、ということです。これを証明する統計があるわけではありません。それでも、打ってきた私たちなら、誰もが知っています。面白いと思わせて、もっとお金を使いたくなるように作られた台は、結果として依存症を増やし、根深くする方向に働きます。その事実から目をそらして「ハマったのは自己責任だ」と考えるのは、台の側の責任を、そっくり見逃してしまう行為です。何万人が苦しんでも、全員が「自分のせいだ」と思っていてくれるなら、店にとって、これほどありがたい話はありません。あなたが「自己責任だ」と考えるとき、あなたは知らないうちに、パチンコ屋の味方をしているのです。
もう一つ。自己責任を、「美徳」として信条にしている人がいます。そう考えるのが正しい生き方だ、という感覚です。それ自体を、否定するつもりはありません。ただ、人のせいにしないという立派な考えの反面、違う考えの人が、甘えているように見えてくるのです。そして、自分の信条を周りに広めようとする。「自己責任」という考えが強調され、広まっていく。パチンコ屋に責任を求める声は、かき消されていく。それもまた、結果として、店を利することになるのです。
試しに、こう考えてみてください。大学に通っているはずの自分の子どもがパチンコにハマり、大学を中退し、借金を作って、ギャンブルと二人三脚の人生を歩み始めたとしたら——。それでも「自己責任だ」と言えるでしょうか。ギャンブルを知らない親なら、そう言うかもしれません。でも、この病気の苦しみを知っている私たちは、言えないはずです。ハマるのは、そういう病気だと知っているからです。
もう一つだけ、思考実験をしましょう。まずあり得ない話ですが、ギャンブル依存症の誰かが「パチンコにハマって人生を台無しにされたのは、三店方式というグレーゾーンを野放しにした国の責任だ」と、国を訴えたとしましょう。おそらく、世間からは嘲笑の的になるでしょう。でも、万が一その訴えが認められ、国に賠償命令が出たとしたら——あなたはどう感じますか。「馬鹿な判決だ」と怒りながら、心のどこかで原告を羨ましく思い、あわよくば自分も賠償されるのではないかと、考えの軸が揺らぐのではないでしょうか。もし「自己責任」が揺るぎない考えなら、何とも思わないはずです。
「ハマったのは自己責任」という考えは、他責思考の正反対にあるぶん、美しく見えます。しかし、その考えは、最終的にパチンコ屋を喜ばせ、その商売を助長し、結果として、さらなる苦しみを私たちにもたらすことになるのです。
2.8 治療には、必要な費用がかかる
虫歯になれば、歯医者に行き、お金を払って治療します。風邪も同じです。病気だから、医者に診てもらい、治療にお金を払う——至極当然のことで、誰も疑問を感じません。
では、ギャンブル依存の治療についてはどうでしょうか。ギャンブルという病気に、さんざんお金を搾取されてきたにもかかわらず、病気と認めて、治療にお金を出すことには、抵抗を感じる人は少なくありません。病気に払うお金は止められなかったのに、病気を治療するお金は渋ってしまう。おかしな逆転が、ここにあります。
ちなみに、ギャンブル依存症の治療(集団治療プログラム)は、2020年から公的医療保険の対象になっています。国が保険を効かせる、正式な病気なのです。
そして、この抵抗は、当事者よりも家族の側に強く見られます。家族の「病気としての理解」が当事者より浅くなるのは、当然のことです。責めているのではありません。実際に苦しんでいる本人と違って、外から見えるのは「お金を溶かすだらしない行動」だけだからです。だからこそ、家族にも、この理解に触れてほしいのです。
2.9 自覚を試す、簡単な方法
想像してみてください。
あなたは今日、少し体調が悪い。咳が出て、顔色も悪い。同僚から「調子悪そうだから、休んで病院に行ったら?」と言われました。何とも思わないはずです。むしろ、気遣ってもらえて嬉しいくらいでしょう。
では——あなたがギャンブルの悩みを同僚に打ち明けて、「ギャンブル依存の専門の病院があるから、行ってみたら?」と言われたら、どうでしょうか。心のどこかに抵抗が出るなら。「病院に行くほどではない」という気持ちがあるなら。病気としての自覚は、まだ足りないのかもしれません。口では「病気だと分かっている」と言っていても、心の中に、それを否定する気持ちが残っていることは、少なくないのです。
2.10 ギャンブル依存とギャンブル中毒
一方で、ギャンブルに依存していても、やめようと思っていない状態があります。私はそれを「ギャンブル中毒」と呼んで、依存とは明確に分けて考えています。
バイト代のほとんどを、パチンコで負けて、友人からもうやめた方がいいんじゃないかと言われても「好きでやってるから」といって、特にやめるとは思っていない大学生がいたとします。それは果たして、ギャンブル依存症ですか?大学生であれば、もっと他のことに時間を使うことがあるはずです。ですが、自分の意思でやっているといって、ギャンブルをやめることをしようとしない。
それは、ギャンブルに依存していると言えるでしょうか?私はそれはギャンブル依存のもっと前、ギャンブルに中毒状態になっていると考えています。
なぜ分けるのか。回復は、やめたいと思ったところからしか始まらないからです。まずは「やめられない」と自覚すること。回復の道は、そこから始まります。